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●『アツシンク(錦織淳メールマガジン) No.11
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憂国無情(仮題)

私も農水族でした
――ムネオ・加藤騒動に思う(その2)――

 前々号(第9号)で告白(?)致しましたように、私は「さきがけの農水族」を自称しておりました。そんな私が、加藤紘一氏がバリバリの農水族であることに気づいたのは偶然ではありませんでした。ガット・ウルグアイラウンド農業合意に伴う6兆100億円の対策費が予算計上されたときの首相官邸での加藤紘一氏の姿が、今でも鮮明に焼きついています。

しばらく前の読売新聞が、たたきあげの鈴木宗男氏とプリンスの加藤氏の“意外な接点”が実は農水族ということにあったと報じておりました(3月16日朝刊の「病巣―鈴木加藤問題―(上)」)。その記事では、加藤氏が1980年代後半から「総合農政派」の若きリーダーであったと伝えています。それは世間では“意外な”ことだったかもしれませんが、私は、“先輩”である自民党の農水族に2派があり、一方が「総合農政派」、他方が「ベトコン」と呼ばれていたこともよく知っておりました。

そんなふたりが主役となったムネオ・加藤騒動により「口利き政治」が問題になったのは、たんなる偶然ではありません。農水族こそ自民党政治の象徴であり、「経世界政治」に代表される利益誘導政治(口利き政治)の根源だったからです。

虎穴に入らずんば虎児をえず――自ら率先して農水族を志願した私にとって、「農水族研究」のうえで欠くことの出来ない視点を与えてくれた一冊の本があります。島根県の地元、に早くから有機農業を実践し、全国的にみても文字通りの先駆者である方がおられます。その方を訪ねていったときにプレゼントしていただいた本です。竹下登氏を育んだ地盤は、地元島根では雲南地方といわれる中山間地帯です。その本は、その雲南地方の農林業がどのようにして解体していったかを学術的に分析したものです。その中で、雲南地方の自治体が公共事業予算、とりわけ農業土木予算を急速に膨張させていった過程が明らかにされています。失業対策事業――災害復旧・対策事業――そして恒久化した土木事業へと変遷し、定着していくのです。

興味深いのは、災害のたびにまるで“雨後のたけの子”のように小さな土木・建設業者が増えていったという指摘です。これぞ、まさしく全国にある無数の“土建屋さん”の誕生なのです。世間では“土建屋さん”といえば道路事業、公共事業といえば道路事業ということで、道路族こそが族議員の象徴のようにいわれています。しかし、農林族と道路族ないし建設族は、その実体において渾然一体となっており、わが国の農林漁業の解体と地域社会(政治・経済の仕組み)の再編成がどのように進められてきたかを抜きには語れないのです。

農林族、農水族は、農業政策を通じて農業者(生産者)や農業団体と結びついてきただけでなく、農業土木事業(土地改良事業や農道建設など幅広い分野に及ぶ)を通じて“土建屋さん”と強固な結びつきを形成してきました。そしてそのような予算配分を通じて地方自治体(首長以下の執行部)や地方議会の議員とも、“ラブラブの仲”だったのです。地方自治体の首長や議員にとって、そのような「予算をまわしてくれる」(厳密に言えば中央省庁との間をつないでくれる、ブローカー業)農水族議員ほど好ましいものはありません。更には、このような公共事業によって生み出されるカンフル剤的な「雇用の創出」によって、地域住民とも強固なきずなを作ることが出来ます。他方で、農水族議員の方は、そのような“口利き”や“仲介”の見返りとして、日常の後援会活動への支援、選挙のときの応援を受けることが出来ますし、政治献金等の提供も受けます。(ときとして“口利き手数料”や“仲介手数料”をアングラマネーの形で受けとることもあり、それが金権政治として発覚することがあるのです)。従って、農水族議員を支えるのは決して農業者や農業団体だけではなく、地方自治体の首長や議員、土建業者、地域住民など幅広い層に及んでいるのです。互いに抜きさしならぬほど強固に固まった密接な関係が、全国各地に網の目のように張りめぐらされています。

そしてこのような“草の根”型の地域支配構造は、少々の時代の変化をも耐え抜いて、生きのびてきました。たとえば、公共事業批判の世論が強まるや、生活者支援のための公共事業と称して下水道整備事業などに巨額の予算(税金)が投球されました(なんと一戸当り800万円の税金投入!!)。また、高速道路や港湾建設などの国家的プロジェクトにも同じような手法が拡がっていきました。その結果、全国津々浦々まで、ジャブジャブの“公共事業漬け(地域)経済”が出来あがったのです。

皆様方によく理解していただきたいのは、全国の各地域にはそのような族議員を強力に支持する強固な仕組みがあるということなのです。だから、族議員は従来型の政策を変えようとしません。また、形式的な“世代交代”があっても、そのような手法が連綿と続けられていくことになるわけです。

しかし、前号でもお話しましたように、そのような「ブローカー政治」が力をもちえたのは、右肩上がりの日本経済のもとでそのような利益分配を可能にする「富(とみ)」が不断に生み出されていたからです。

私は、ある事を通じて、山一證券の崩壊過程を検証する機会がありました。山一證券のトップリーダーの中には“天皇”といわれ、長らく社内に君臨し続けた人がいます。しかし、その人も、もとはといえばサラリーマンでした。平社員として入社し、係長になり、課長・部長と出世していきました。やがて、取締役(重役)となり、最後には社長にまでのぼりつめました。社長を退いてからも会長となり、“キングメーカー”としての権勢を振い続けたのです。そのトップリーダーにはどのような力が備わっていたのでしょうか。サラリーマンとしての出世競争を勝ち抜くための腕をみがき、社長派、副社長派、専務派…といり乱れる派閥闘争を生き抜き、勝ち残るための権謀術策を鍛えぬいてきたのです。だから最後に勝利したのです。

では、そのようなトップリーダーは、会社経営者としては有能だったでしょうか。残念ながらそうではありません。そのような経営者が山一證券崩壊の原因をつくってしまいました。また、会社存亡の危機に際しても、トップリーダーとして会社や従業員を救うことが出来ませんでした。その結果、多くの従業員や家族が路頭に迷うことになったのです。大変な悲劇でした。もとはといえば、サラリーマンの出世競争に勝ち抜く能力と、会社を経営する能力とは全く別ものだということに皆が気づかなかったからです。

今、同じことが日本の政治に起きています。新入社員=当選1回生議員、係長=以前の政務次官、課長=党の部会長、取締役(重役)=大臣、社長=総理大臣と置きかえてみて下さい。年功序列型出世コースといえども“闘い”がないわけではありません。激しい派閥間の闘争を勝ち抜き、首尾よく社長=総理大臣の座を射止めるためには大変なエネルギーと努力がいります。ノウハウもいるでしょう。その出世競争にしのぎを削るあいだに、そのような力もますます強くなり、技術にもいよいよ磨きがかかるでしょう。社長=総理退任後も会長=キングメーカーとしての権勢を維持するためには、強固な派閥形成や運営のノウハウも必要でしょう。「ブローカー政治」によって集めた「仲介手数料」を上手に配って派閥を維持するノウハウは、なくてはならぬものだったでしょう。そしてそのような“永田町株式会社”の出世競争に勝ち抜き、社長=首相になった人こそが、世間やマスコミから「力のある政治家」としてもてはやされるのです。

では、そのような出世レースに勝ち残った人に会社経営=国家経営の能力があるのでしょうか?答えは、残念ながらノーです。山一證券に長らく君臨したひと=山一證券をつぶした人です。同じことが永田町株式会社=日本国でも起きようとしています。永田町株式会社のトップリーダーとして長らく君臨した人=日本国を倒産の危機に直面させた人ということになりかねないのです。「ブローカー政治」の何たるかを身体で覚え、それを使いこなす能力にたけた人――そして派閥間競争の中で出世街道を先頭になって走れる能力と技術を身につけたひと――世間やマスコミから「力のある政治家」と呼ばれたひと――そのひとこそ、日本国という会社の経営を危機に瀕せしめ、国民に不安をかきたてている張本人なのです。

このように説明しますと「口利き政治」=「ブローカー政治」が、金権腐敗やスキャンダルのゆえに巨悪なのではなく、もっと本質的意味において「巨悪」であるということをご理解いただけるものと存じます。私が竹下政治との闘いに真っ向から挑戦した意味をご理解いただけたでしょうか。残念ながら、そのことを充分に理解していただけなかったものと思います。だから、今更のようにムネオ・加藤騒動で「口利き政治」が問題になるのです。そしてそのような日本の政治を覆っている最悪、最大の欠陥=国家経営能力の欠如が、いかに恐ろしいものか未だ、充分に理解されていません。

前号でお約束した諫早・有明問題を素材にした話しは、スペースの都合上、次号に持ち越させて下さい。あしからずご了承ください。

錦織 淳